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極貧生活からエミレーツCA「夢は諦めなくていい。」日本を飛び出したMahoさんの人生ストーリー

「海外に行きたい。でも、怖い」「言葉に自信がない」「本当に自分にできるんだろうか」

そんな迷いを抱えたまま、一歩踏み出せずにいる人は多いはずです。

今回お話を伺ったのは、現在ドバイで客室乗務員として働き、YouTubeでも海外生活を発信するMahoさん。彼女も、かつては“普通の日本人”として、言葉や環境の壁に悩みながら生きていました。

それでも海外に飛び出し、挑戦を重ねる中で掴んだ“気づき”と“自分らしさ”。

「夢を追いかけたい」「海外で生きてみたい」そんなあなたの背中を、きっと押してくれるはずです。

第二言語で生きる毎日。それでも挑戦を選んだ理由

「海外に来て一番のチャレンジは、やっぱり言葉ですね。」

日本語が母国語のMahoさんにとって、英語は後から努力で身につけた“第二言語”。それでも、ドバイでの仕事はすべて英語。職場の同僚、生活の中でのトラブル対応、デリバリーの注文ひとつも、英語でのやり取りが当たり前の日常です。

「正直、ネイティブだったら違ったかな…と思う瞬間もあります。でも、間違えながらでも挑戦することで、世界は広がる。」

例えば、英単語を間違えても、少しヘンな表現をしてしまっても、それを“武器”に変えてきたと彼女は言います。

「第二言語だからこその愛嬌や許される空気もあるんです。」

言葉の壁は確かに存在します。それでも完璧を求めすぎず、挑戦することで見えてくる景色がある。

人との出会いを求めて、オーストラリアへ

Mahoさんが最初に海外で生活したのは、オーストラリア・シドニー。小学生の時に家族旅行で訪れたケアンズの印象が強く残っており、多様性あふれるシドニーへの直感的な憧れがありました。

「日本にいると、出会う人が限られてしまう。もっといろんな価値観、いろんな人生を覗いてみたかった。」

その想いから、シドニーでは五つ星ホテルのルームサービスやカフェでダブルワーク。週7で働き続けるハードな生活も、「人と出会い、世界を広げるため」だったと振り返ります。

「仕事は単なる収入源じゃなく、人生を変える手段。いろんな国の人たちと出会い、文化を学べる最高の場所だった。」

彼女の行動力と好奇心が、世界をグッと近づけていったのです。

メイク業界での“どん底”が、自分を鍛えた

華やかに見える海外挑戦の裏には、日本での過酷な下積み時代がありました。

「メイクアップアーティストのアシスタント時代は本当に辛かった。給料はゼロ、生活できずアドレスホッパー生活でした。」

住まいはカプセルホテルや友人宅を転々とし、極貧生活。スタバでドーナツ1つを頼み、無料のテイスティングコーヒーで数時間粘って勉強をする日々。

「でも、どん底を経験したからこそ、ちょっとやそっとじゃ心は折れなくなった。這い上がっていく人たちの姿にも励まされた。」

華やかな舞台の裏側で、努力と挫折を重ねた経験が、今のMahoさんの強さと自信をつくっています。

インドで気づいた「幸せの本質」

大学時代には、NGO活動で南インドの村に2週間滞在。電気も水道もない環境で、子どもたちのために家を建てる活動に参加しました。

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